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TVの取材を受けて!

スタイルプラスの取材を受けて
グルマン ヴィタル 代表 鈴木政裕

2009年の夏  東海テレビの番組スタイルプラスから、取材のオファー頂きました。
何度かTVの番組に出させて頂きましたが、今回は、お店の情報番組ではなく
職人としての私を取材したいとのことでした。

番組の制作担当者とたくさんのお話できる時間を取って頂きました。

本来の番組は、職人としての姿を追いかけることがテーマです。
私は、TVの番組に取り上げて頂けるような職人だろうか?
そんな問いかけからの取材のスタートとなりました。

今回を取材お受けして、自分のスタイルとは何か?
プロのパン屋として、又、グルマンとして何を求めて目標にしていくのか?
そして、私自身、仕事を通して、人生をどんな風に生きていくのか?
などなど、ちょっとカッコイーかもしれませんが、考えさせて頂きました。

本当に丁寧な取材をして頂き、光栄に思っています。
スタイルプラスの制作者のスタッフの皆様、ありがとうございました。

8月9日の放送は、VTRの部分が15分ぐらいだそうです。
当然公共の電波を使うテレビですから、15分は、個人として大きな時間枠です。
しかし、グルマンの22年の歴史は、語り尽くせないこともありますので、
本来、そんなにかっこ良くは無いように思います。
私の人生のテーマは、秤です。バランスの中にいろいろな幸せや苦しみの根源があるように思います。

グルマン設立の背景
私は、パン工場の息子として生まれ、高校は地元の大垣南高等学校、名古屋の愛知学院を卒業して、後を継ぐことに決めました。
昔のことですが、マルセのパンが不味いと子供の頃から言われ続けて、その悔しさがバネになっていると思います。スタートは、本当にパンが好きとか?言うのではなくて、人に認めてもらいたい!その一念だと思います。

1978年〜大学を卒業後、北海道の苫小牧の(株)三星に修行にいきました。
理由は、学生時代遊んでばかりいましたので、出来るだけ遠くに行き、友人関係を断ち切り、修行という名の自分探しの旅がしたかったんではないのでしょうか?
それと、もう一つ、スキーが大好きだったということです。
1980年には、東京のパン技術研究所に3ヶ月間の研修を受けました。
又、短い期間でしたが、湘南の平塚 ベーカリーシェーンブルンで、焼きたてパンの店で、研修を受けました。

1982年(株)マルセパンの隣に、小さな焼きたてパンの店としてオープン
国道21号線沿いの小さなパン屋です。
焼きたてパンの店は、駅前や商店街、デパートの中などが、通常のパン店のあり方でした。
その当時は、コンビニも無く、まして、焼きたてのパン屋さんは、ローサイドで開店することはありませんでした。
私は、北海道の苫小牧の三星で、その工場の前の売店がとても繁盛していることを経験してきました。その店は、国道沿いの店です。前は海、後ろは勇払原野、ほとんど人が住んでいない所で、100万円以上の売り上げのお店でした。
そんな経験が、私をこの地でも、パン屋が出来ると決断させたと思います。
最近になって、垂井本店のグルマンを見て、昔から、ローサイド店を計画された、先見性があるとお褒めを頂きことがあります。しかし、私が凄く能力があって、先見性があるのではなく、三星での経験が、生きているだけです。しかし、三星との出会いが、今の大きな枠組みを作っている大切な出会いだったことも事実です。
それから、技術の足りなさに悩みました。そこは、私は若くして、新しくオーナーとしての道を進んだのだから、苦しむのは当たり前と考えました。多くの方が、長い年月を下積みを経て、長い蓄積があってこその自分の世界を築くことができるのですから、パン屋の2世だからという理由で、物づくりの世界は、ショートカットは出来ません。
後から苦しむのも一つの道ですよね。
私は、休みの日に白衣を持っての勉強の日々が、何年も何年も続きました。
一時期の私は、日本で一番、日本中のパン屋を知っているぐらいの勢いで、パン屋巡りをしたこともあります。

次に苦しんだのが、人材の育成です。この問題は、今も続いています。又、永遠のテーマです。
最近、どうしたら幸せになれるのか!アドバイザーが出来るくらい。人と人との関係を見て、ぶつかり合いをしてきました。とにかく、どこまで自分に素直に向き合えるかが、勝負です。

すごーく長い話になりそうなので、キーワードを残して、続きは、後日!

どうして、石窯を始めたのか?
どうして、グルマンとVITALとマルセ(グルニエ)という3つのブランドが生まれ、共存しようとしているのか?
どうして、岐阜店が,日曜日休みなのか?
どうして、グルマンの本店と大垣店に洋菓子が販売されているのか?
職人と経営者の2つを両立する悩みと続けている訳?
6店の支店を運営しながら、悩み苦しむ訳と本当にグルマンが進む道の話
長者町店をオープンした理由
藤が丘店をオープンした理由
一宮店の店をあの立地でオープンした理由とどん底の苦しみを味わいながら感じたこと
大垣店のカフェの席数が10席の訳?
大垣店が、対面でパンの販売をしようとした理由とやめた理由
昔、宅配をしていたことと、移動販売をしていたこと
人との出会いで、大きく変わったこと
垂井本店の工場マルセパンの存在意義/ユニクロとパタゴニアのどちらが本当に凄い会社か?
最近凄いと思った言葉//京セラの稲森会長の人類は滅びる方向に向かいながら、努力する話と
東京のカフェ ベルグのオナーの食に対するスタンスの文章
この2つの話は、私のいつものテーマ
秤のバランスの中に真実があるに、ぴったりのお話です。

以上のようなお話を書いていきたいですね。
TVという華やかな世界では、表現できない世界も持ちながら生きているのが人間ですよね。
いろいろ考えるきっかけを頂き感謝します。

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