パンの歴史

パンは今から約6000年前、古代エジプトで生まれたと言われています。
最初は小麦をお粥に、小麦団子や煎餅にとしていたようですが紀元前4000年には石臼で小麦や大麦を挽いて粉にし、煎餅やビールを作りました。そして、古代エジプトではそのビール発酵種を小麦粉に混ぜて「ガレット」と呼ばれる平焼きパンを焼くようになったそうです。これが世界最古のパンだと言われています。

パンを焼く方法も、最初は砂漠の中で強い太陽熱を利用していましたが、次第に色々な窯を工夫していったようです。
エジプト人は「パンを食べる人」と呼ばれたほどパンを好みましたが、その製法を国外に伝えることを禁じていました。それが国外に伝わったのは、エジプトに捕虜として捕らわれていたヘブライ人によるものと言われています。ヘブライ人は窯に工夫を加え、半連続的に大量にパンを製造する方法を開発しました。これが直焼きパンの製法の始まりです。

その後、パンはギリシャを経てローマに伝えられ、飛躍的に発展しました。
工場生産の始まりです。そしてローマ帝国が各地を征服していくなかでパン食文化もヨーロッパ各国に伝えられていきました。ヨーロッパではそれまで主に大麦を生産していましたが、より美味しい小麦の生産に変化していき、小麦の育ちにくいドイツ・ロシアといった北欧では、ライ麦粉のパン、またはライ麦粉に小麦粉を混ぜたパンを作るようになったのです。

やがて大航海時代に入り、新大陸から良質の小麦が大量に入ってくるようになると製パン技術もすすみ、型詰めのパン製法が生まれました。アメリカのワンローフはこの流れを組むものです。そして、アメリカでより大量生産に適した形としてプルマンタイプの食パンが登場しました。

日本のパンの始まりは?

日本にパンが伝えられたのは、鉄砲の伝来と同じ1543年、ポルトガル人が種子島に漂着した時です。

その後、日本は九州の平戸で貿易を始めました。その中には料理人・パン職人もいて、日本でパンも作られました。
徳川時代になって鎖国政策が採られたため、唯一オランダ人の入港を許可された長崎の出島だけでパンが細々と生き残っていくことになります。

幕末になり、携帯に便利で保存性もよく、火をおこさなくてもそのまま食べられるパンに注目した、伊豆の江川太郎左衛門担庵が、1842年4月12日、出島からパン職人の作太郎を招いて軍用のパンを焼きました。
現在、パン業界ではこの人(江川~)を日本のパンの祖とし、この4月12日にちなんで毎月12日をパンの日と定めています。

明治政府になってから、文明開化の名の下に西洋の食文化も普及していきましたが、当時のパンの主流は食パンで、一部の知識人・富裕階級を除いては大衆に浸透していきませんでした。
その後、木村屋を開業した木村安兵衛が、明治7年、酒種あんぱんを開発しました。日本人の嗜好にマッチしたこのパンは爆発的な人気を呼び、急速に一般大衆に普及していきました。
こうした流れの中で、パン屋は食パン屋と菓子パン屋にはっきりと分かれていき、技術的にも別系統のものとして発展していくことになりました。

明治から大正にかけて製パン機械や原材料の進歩も著しく、パン産業は飛躍的に発展していきました。
特に大きな役割だったのがイーストの登場です。ビール酵母、生イーストを経てアメリカからドライイーストが輸入されるようになると、国産化も進められ普及していきました。

昭和初期の戦争中は暗黒期を迎えますが、終戦後、西洋諸国の新しいパンが次々と紹介され、ベーカリーの黄金時代を迎えることになります。

  1. パンの歴史
  2. 世界のパン

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